祈りの力を信じた頃の小さな奇跡のような実体験

昭和40年代。病院もなく、産婆さんの手で命が生まれ、赤チンキと母の知恵で傷を癒す――そんな時代の、山あいの小さな集落で育った私が体験した、今でも不思議で仕方ない出来事があります。

それは、ある日突然現れた「イボ」と、それを消してくれた、ひとりのおばあちゃんとの出会いの話。

祈るように私のまわりをぐるりと歩き、塩とハサミを手に何かを唱えたあの光景。
子どもだった私には、それが“治療”なのか“魔法”なのか、わかりませんでした。

ただ、確かに「消えた」のです。
まるで祈りの力が働いたかのように。

このブログでは、あの頃の不思議であたたかい記憶を、そっと綴ってみたいと思います。


祈りが消したイボの話:昭和の田舎で起きた不思議なできごと

私がまだ未就学の頃、昭和40年代の田舎の小さな集落で体験した、不思議で、そして今でも心に残っている出来事があります。

当時、私たちの住む地域には病院もなく、出産も産婆さんの手で行われるような、自然と人の力に頼る生活が当たり前の場所でした。医療といえば、自宅での手当てや、地域の知恵を借りるものでした。

突然できた「イボ」

ある日、気づいたときには右手の中指に、大きなイボのようなものができていました。小さな子どもの手には不釣り合いなほど存在感のあるそれを、母は何のためらいもなく、針でほじくり始めました。

当時は、膿がたまった傷や腫れものを針で刺して処置するのは日常のことで、針は火であぶって消毒し、終わった後は赤チン(赤チンキ)を塗る。それが当たり前の家庭の医療行為でした。

イボの中は、子どもながらに見ても不思議で、柱のような筋が縦にいくつも並んでいるように見えました。最初は痛みもなく、ただただ興味深くその様子を見ていました。でも、根元に近づくにつれて血が混じり、強い痛みが走り、私は泣き出してしまいました。

あまりに泣く私を見かねて、母は処置をやめました。

体中に広がった小さなイボ

その後、なぜか顔や体にまで小さなイボができるようになりました。母は「泣きながら触った手や、血やツユがあちこちに付いたからだ」と言いました。

「このままじゃかわいそうだね」と母が言ったのを覚えています。

集落のおばあちゃん

そんなとき、集落の中心部に住む、同級生のおばあちゃんの元を訪ねることになりました。地域の人たちから慕われ、体の不調や痛みを取ってくれる“特別な存在”として知られていた方でした。

そのおばあちゃんは、ハサミと塩を手に持ち、私の周りをぐるりと一周。手にしたハサミを動かしながら、何かをつぶやいていたような…よく覚えていません。

最後にこう言われました。

「イボのことは忘れなさい。考えないようにしなさい。そうすれば消えるよ。」

おばあちゃんの祈り

本当に消えていた

そして本当に、気づいた時にはあれほどあったイボが、きれいに、何事もなかったかのように消えていたのです。

子どもながらに驚き、そしてとても嬉しかったのを今でも覚えています。

母は後になってこう言いました。

「あのおばあちゃんは、みんなの病気を吸い取って、最後は自分が病気になって亡くなったんだよ。」

大人になった今でも

大人になった今でも、あの出来事が何だったのか、説明のつかないまま、ずっと心の中に残っています。医療でも科学でもないけれど、あの時確かに「何か」が起きて、私のイボは消えた。

昔の人の知恵や祈りの力、そして“信じること”の大切さを、あの体験を通して学んだように思います。

まとめ

今思えば、あの出来事は「不思議な体験」と一言で片づけてしまうには、あまりにもあたたかく、記憶の奥深くに残るものでした。

病院や科学の力ではなく、地域に根ざした祈りと人の手によって、心と体が癒されていた時代。
そして、誰かを想う気持ちこそが、何よりの「治療」だったのかもしれません。

あのときイボを消してくれたおばあちゃん。
その姿は、今も私の心の中で、祈りとともに生き続けています。